2000 小澤慶介 "麹町画廊 個展カタログ"
知りえない部分へ、近づいて。

「言語の可能性、自由…の中で渦巻いている一つ目の死がある。そしてそれが二重になり、つかむことのできない死がある。それは、私が捕らえられないもの、いかなる方法のいかなる関係をもっても、私に結び付けられることのないもの。それは、決して私に帰着することのないものであり、それに向けて私は私自身どうすることもできない。」 (M・ブランショ 文学空間)

 「記憶への回廊」、「めいそうの大陸」という作品で、山本基が表すものは、死という概念が明かす、知ることのできない領域と見ることができるかもしれない。

 これらのサイト-スペシフィックな作品は、幾層にも積み重ねられた壮大な量 の塩のブロックと、錆びた鉄板から成り立ち、大きさと重量感において見る人を圧倒する。作品の内部や奥行きは、外側を覆っている鉄板で直接窺い知ることはできない。唯一覗き見ることができるのは、鉄板の切れ目から現れ出る塩で固められた狭い路だ。大人には狭すぎるその路は、その先にある暗闇に引き込まれるにつれ、確かな身体反応を生じさせる可能性を湛えている。それは、今日の日常性における時間や空間の流れに亀裂を生じさせ、認識することはできないが、私たちの身体的本能が必然的に反応してしまう感覚を表現している。中に何があるのか、また何が起こっているのかを知りたいという思いが高まる。しかし、それはできない。見る者は、奥に未知の空間があるということを認めつつも、実際に知覚することのないまま、その外側に留まらなければならない運命にあるのだ。「ほら、そこにある。しかしほとんど辿り着くことはできない。」と。

 これは、身体全体に行き渡る死の過程と大いに関係あることだろう。死に向かい合い、人はそれに自覚を持って近づいてゆく。しかし、ある時点から論理的な思考能力を奪われる。その朽ちゆく存在は、理路整然たる言葉の決定的瞬間のうちに、「死ぬ 」ということを認識できず、自分の最後をしっかりと捉えることができない。山本の作品の暗がりは、この理解し得ない部分と呼応するといえるだろう。それは、「知る」ということについて、興味と不安を同時に引き起こす。しかしながら、それに立ち向かう者は次の事実を引きうけなければならない。見るものは先に進めば進むほど、闇がより重くのしかかってくるということだ。その中で、彼は知識(知ること)の無力化と理解不能な情動を余儀なくされ、言葉を介さない内なるコミュニケーションにさらされる。闇というイメージの不在は、「知る」という通 常の感覚が解体される領域だ。

 このテーマを実現するため、山本は、心と身体を清める意味に注目して、塩を制作の材料として使っている。またそれだけでなく、彼は、塩を、例えば「食卓塩」や「減塩みそ汁」などの表示に見られる、自然を生産的な目的において対象化したものとしてではなく、むしろこの世のすべての存在にとって必要不可欠な物質である「塩」そのものとして提示する。このように作り上げられる作品は、すべての生と死を包含するような、印象深く、また力強いイメージを現出させているのだ。

 死に関するこのような見方は、今日のそれの一般的な見方に対抗するものと見ることができるだろう。山本は作品で、死を概念化する社会の傾向を明るみに出すと共に、再考し、そしてそれに疑問を投げかける。20世紀を通 して進化した社会において、死の概念は社会福祉のシステム、医学などの高度なレベルの介入を通 して社会の言説に裁断されるものとなっており、その身体が担うアクチュアルな過程からは遠ざけられている。例えば脳死という概念は、死の判断基準の恣意性をつまびらかにし、大きな論議を巻き起こしている。それは、取りも直さず臓器移植のための「生ける死」の創造であり、そこにおいて人間の死というものは、人体の全体的な破滅の前に、脳の全機能停止によって引き起こされる人格の剥奪をもって宣告される。このような社会的文脈の中で、山本は、一方で「死とは一体何であるのか」ということを問いつづけ、また一方で、こうした死の現実性をぼやけさせる支配的な社会の傾向に否を唱える。

 結論として、山本基の作品は、認識不可能と思われるもの、あるいは、死はいつもすぐそこにありつづけているという事実にも拘わらず、社会によって覆い隠され、無視されてきたものを私たちに気づかせる「装置」ということができるだろう。暗がりの中のイメージ不在は、私たちの日常生活を超越したところにある「知りえないもの」の感覚を引き起こす裂け目である。そこから、私たちは塩の路を通 り、いまだに明かされることのない、死が開く領野へと導かれることになるのであろう。

小澤慶介



2000 個展 麹町画廊、東京